足跡

2011年10月29日

足跡その62~全国上映前に、完成披露試写会を実施しました


2009年1月に集まって映画「海炭市叙景」製作実行委員会を作り。
それから撮影までの間に資金を集め、環境を整備し。
2010年2月に本格的なクランクインとなり。
3月に撮影を終え、6月にほぼ完成形となり。
11月27日に函館で先行上映スタートと決めました。

ロードショーのその直前のタイミングに。
撮影終了時点で函館チームは重かった荷を降ろした精神状況でしたが、最後の大仕事が我々を待っていました。


お世話になった皆様をご招待しての「完成披露試写会」です。


我々の活動が何かの参考になりそうな方のために。
ざっと準備した内容を挙げてみますと。

日程の決定(大勢を収容できる会場が空いていて、ご協力いただいた皆様が来場できそうな土日祝日で、ゲストの方々のスケジュールが合う日)
招待状の作成・送付(対象の方のリストアップ)
マスコミの皆様への周知
当日までと、当日のスケジュールと、台本の作成
スタッフの役割分担
必要備品の用意(会場内の案内板から、ゲスト控え室の加湿器まで)
文庫本など販売物の手配
ゲストの送迎方法の確定
映写機やスクリーンの手配


そのほか、我々ならではのものとして


ゲスト・スタッフ用の「あのときのロケ弁」作成
来場の皆様用の「海炭市通信・番外編」作成
来場できない関係者のビデオメッセージ手配



もっともっと準備項目はとてもたくさんあったのですが、とりあえず上記のものをメインに作業いたしました。



また、不安だったのが、当日の天気のほか。
「もしも座席数以上の方がいらしたら・・・」という点でした。

協賛金や物資、労力などでお力を貸していただいた皆様に招待券を発送いたしました。
それは函館だけではなく、全国の方々に。

なので当日、遠く函館の地まで来ていただける方がどのくらいいらっしゃるのか、まったくの未知数だったのです。
とにかく開場時間を待って並んでいただいている方々の人数を数え、もしも座席数以上の方が出てしまうようだったら・・・。

実は、スペシャルなプレゼント&ご提案を用意しておりました。


結局、2回の上映は定員数におさまり、ほっと胸をなでおろしたのです。




小林薫さん、谷村美月さん、熊切監督に来ていただいての完成披露試写会は、大きな事故もなく無事終了しました。
東京からの助っ人など、今回もほんとうに多くの方々の力をお借りしての展開。

そして、この後は全国の劇場での公開が始まったのでした。

それは今も続いていて。
更に11/3にDVDとブルーレイが発売される事で、永遠に続く事となるのです。



ほんとうに多くの皆様に大感謝、です。









そして!
前回のクイズの答えです。

「法学部」でした。

邦楽、方角、法学???
いろんな事が学べそうです。


せば、次いってみるべや!


「世界の中心にいると思い込んでる虫がいるぞ。
さて、それはどんな虫?」

今回も、ひらがなにして考えてみて下さいませ。
答えは次回のブログにてっ!

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2011年10月05日

足跡その61~公開直前の夏


2010年11月に公開となった映画「海炭市叙景」。
その直前は、やはり様々な事が全国で動き始めていました。


函館では7月に朗読イベントを開催。
これは我々ではなく、実行委メンバーが普段活動している朗読団体が主催してのイベントでした。
朗読以外にもトークでメンバーも多数出演させていただいたのです。

また、函館の老舗タウン誌である「タウン誌『街』」で、実行委メンバーによる座談会形式での特集ページも組んでいただきました。
タウン誌「街」は、残念ながら来秋で50年の歴史に幕を閉じることが決まっております。


そして8月には関係者試写会が東京・札幌で開催される事になります。
真夏に見るこの作品はどうかな?と思いつつ、とても高い評価をいただき勇気付けられたのです。
この時期に「東京国際映画祭」の正式出品も決まりました。


9月には、TV番組での映像公開(写真ではなく映画のシーンの動画です)が解禁となり、一気にこの作品が広く知られる動きができてきます。
映画館主が集まる年に一度の「全国コミュニティシネマ会議」が山口県で行われ、そこでも多くの映画人に見ていただきました。
このタイミングで函館でも再び告知イベントを開催しています。
函館の大人気イベント「バル街」で、またまたスペースをいただいてのイベント。
すでに作品の認知度は、函館ではかなり高いことを実感させていただいた1日となりました。


このあと我々は、公開直前の「函館での完成披露試写会」への準備を、本格的に始めることになります。






(続く)





そして!
前回のクイズの答えです。

「本棚」でした。
・・・ストレートすぎる答えですね。
ここに置くと「ん、本だな(本棚)」と思われちゃうんですよね・・・ね。


さっ、次っ!


「乗り物好きの小学生の長男が誕生日の時に、お祝いに新幹線に乗ろうと誘ったお父さん。
でも長男は、別の乗り物を希望しました。
さて、それは何?」

答えは次回のブログにてっ!

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2011年10月03日

足跡その60~撮影終了からのタイムテーブル


2010年3月末に撮影を終え、まだ「日常に戻った」という状態ではありませんでしたが、少し一息つく事ができたメンバーも多くいました。

たまった仕事をこなしたり。
家族との時間を過ごしたり。
旅行に行ったり。
映画を見たり。
とりあえず温泉でゆっくりしたり。

海炭市には、400円でお釣りがきちゃう温泉がたくさんあるのです!




そして、映画完成のための作業、告知のための作業の大まかなスケジューリングに入りました。


4月前半までにエンドロール用の名称確認。
音のダビングのための追加素材作成。
桜の時期になったので、「お疲れ&更にがんばろう」お花見の実施。
秋の「完成披露試写会」までの準備スケジュール。
更なる告知方法の模索・・・ツイッターなどの効果の大きさを確認。
6月上旬の関係者向け試写の実施。



結婚・転勤などで春から海炭市を離れ、別天地での生活が始まったメンバーも少なからずおりました。

一度おちついたテンションを再び全開にして望むべく、気合を入れなおした時期です。
だって、いまだに製作資金が足りてないという状況だったのですから!

6月の東京での試写に参加したメンバーからは、もちろん客観的には見れてないのだけれど傑作と感じた!
という声が続出。
我々お留守番チームは、まだ見ぬ映画に更に期待を膨らませたのでした。






(続く)






そして!
前回のクイズの答えです。

「イカ(一家)」でした。



まあまあ、すぐに次っ!

「来月の今頃は、お茶の間で映画の『海炭市叙景』を見ることができるんだなあ。
さて、そのDVDパッケージを置く場所によっては、本と間違えられるみたいです。
それはどーこだ?」


答えは次回のブログにてっ!

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2011年09月27日

足跡その59~ボランティアのドライバー達


撮影中の重要な、そして1日たりとも欠かすことの出来ない仕事のひとつがドライバーでした。

撮影のための機材を運ぶ機材車は、多いときは3台になることも。
アイスバーンの道を大きな車を運転できるドライバーは、東京からのスタッフよりも、土地勘があり雪道を走りなれている地元スタッフのほうが望ましいのです。

朝のチーム出発前に宿舎に到着し、撮影終了後に機材が積み込まれるのを待って宿舎に戻る。
照明チームの場合は、その後に明日の仕込みをするため、今日の機材を降ろして明日の機材を使いやすい順にトラックに積み込み・・・すべてが終了したら照明チームを宿舎まで送り届けます。

地元スタッフ何人かで交代で日々を担当しましたが、遠い方は自宅から車で30分くらいかけてやってきます。
つまり、すべて終了してスタッフが宿舎についたあと、また30分運転して自宅に戻り、翌朝はやくにまたやって来るという日々だったのです。


撮影中は仮眠をとり。
エキストラとして出演・・・中にはエキストラではなく、セリフのある重要な役の方もいらっしゃいました!
最長距離は、函館~室蘭の移動もありました・・・あの時は、視界ゼロに限りなく近い吹雪になる瞬間も。
1泊2日の撮影だったので、この時のためだけに駆けつけてくれた方もいたのです!


東京と違い、機材に何かあったら代替機が用意できません。

モノと人を、安全に、そして時間も気にしながらの運転。


頼もしかった!


映画撮影の華やかな部分以外の場所で、こういう方が大勢いてくれたのです。






(続く)






そして。
前回のクイズの答えです。

「ミスがなかった、ノーミスだったギターなので『ノーミス・ギター(飲みすぎた)』」でした。


おほほほ。

さて、次っ!


「今回は連休がたくさんあったなあ。
あれれ、考えてみると、休日のたびに君は赤くなってたね。
さて、なんのこと?」


答えは次回のブログにてっ。

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2011年09月25日

足跡その58~体ひとつで駆けつけてくれた方々


クランクアップ後に、エンドロールへのお名前確認をするという仕事が膨大にありました。

その確認作業で、様々な分野でお世話になった方のお名前を何度も目にする事となったのです。


お金や物資で協賛いただいた方。
撮影場所を提供していただいた方。
登場人物の背後にあるべき物の数々をお貸しいただいた方。
それらを含む様々な物を運ぶための車両、日々の宿や食事と食材
極寒の撮影を支える暖房のためのもろもろ。


そして。
すべてを円滑に進めるための様々場面でのマンパワー。


特に。
出演者もそうですが、美術や照明などのスタッフ補助も、一般の方に広くサポートをお願いしました。
なのに条件は過酷で、ほぼ1ヶ月ちょっとの期間を丸々サポートでき、交通費などの支給もなく、遠方から来る方も宿泊・移動手段は個人で確保できる方に限らせていただきました。

報酬は「プロの現場を体感できる事」。
移動手段といっても、早朝から深夜までなので、実質的にはマイカーを持っている方・・・に限りなく近い条件でした。



ほんとに、この映画への情熱(もしくは、映画製作現場をなんとしても間近で体感したいという情熱)なしには、あり得ない状況でした。



にも関わらず。
来てくれたあなたがたに、今でも感謝の念はつのるばかり。
このブログを、もしもまだ見ていただけているなら、この想いが伝わっていれば嬉しいです。

今回のつながりで新しいプロジェクトが生まれたのも、聞き伝えながら感動して受け取りました。



映画「海炭市叙景」は、これからも新しい動きに繋がっていく要素にあふれていると、ただただニヤニヤ想像して悦に浸っております。






(続く)






そして!

前回のクイズの答えです。

「パパイヤ(パパ嫌)」でした。


さあさあ、すぐに次っ!


「ロックコンサートで、ギターだけが全く間違えずに演奏していました。
さて、このバンド。その夜の打ち上げでギタリストはどんな状況だったでしょう?」


答えは次回のブログにて!

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2011年09月24日

足跡その57~クランクアップの翌月に


2010年3月20日のクランクアップ。
その夜は、日付が変りそうな時刻にやっと皆が集まって、打ち上げが催されました。
それは、すでに海炭市を離れた仲間たちへの想いを抱きながら。

ハプニング多発。
びっくりな仕掛けあり。
爆笑と涙と解放感と疲れきっての爆睡と。

まあ、それはそれは愉快な夜でした。


そして、翌日から。

事後処理と、作品を完成させるための動きに入りました。



これまでの撮影で足りない部分を作り。
文字表記が正しいか等の確認連絡をとりまくり。
膨大となるエンドロールに紹介したい人名を、どんな形で表現するか悩み・・・これは結局、流れる”ロール”ではなく、パッパッと何秒かごとに切り替わる文字構成にさせていただきました。


そんな2010年の4月上旬。

製作委員会が正式に立ち上がったり。
2ヵ月後の試写が決まったり。
ジム・オルークさんが音楽を担当してくれると確定したり。
「海炭市叙景」の文庫化決定!の特大ニュースが飛び込んできたり。



クランクアップのあとに、ドラマチックな展開がたくさん待っていたのです。






(続く)





そして!
前回のクイズの答えです。

「ミッキー」でした。

磨く(ミがク)ので、ミッキーがクッキーになっちゃった!

なーるほどっ!



ならば、次っ!



「好き嫌いせず、なんでも食べなさい!
と言っているお父さんが嫌いな食べ物ってなーんだ?」

答えは次回のブログにて!

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2011年09月20日

足跡その56~撮影終了後の作業


ちょうど1年半前の、2010年3月20日に撮影が終了しました。
正確には、そのあとにも星空の撮影があったり、音の追加録音(渡辺真起子さんは、ここからの登場でした)があったり、東京での作業は続きました。

そして、函館では。
撮影後の必要な作業が続けられました。

・お借りした物品の返却
・ご協力お礼のご挨拶まわり
・行方不明になってしまった物品の捜索
・撮影の様子を記した「海炭市通信」の準備
・エンドロールで紹介させていただく皆様の名前表記確認

・そして、更なる協賛の呼びかけ


エンドロール製作の期限のため、4月中旬までに協賛のお約束をいただかないと映画のラストに名前がお出しできないという状況。
しかし、まだ足りない製作資金を確保するため、更なる協賛願いに走り回りました。

その結果、エンドロールに名前がのらないとわかっていての協賛の申し出を、その秋まで断続的にいただく事となりました。


せめて、11/3に発売されるDVDとブルーレイでは、その方々もご紹介できるよう、ただいま大急ぎで準備しております。
10,000円以上のご協賛をいただいた方には、確認の連絡を後日させていただきます。

ぜひ、確認作業にご協力をお願いいたします。






(続く)






そして!
前回のクイズの答えです。

「時間」でした。


さあ、次っ!


「とある洋服屋さんでは、イヌとネコを一緒に店内には入れないんだそうです。
さて、なーぜだ?」

答えは次回のブログにてっ!

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2011年09月18日

足跡その55~ちょっとツラいんだ


映画作りの期間の中で。
とても色々な事がありました。

足跡を記録すべく、交わされたメールを読み返してみると、色々な事がほんとに昨日の、いえ、さっきの事のようにココロとカラダが思い出すのです。


楽しいことがたくさんありました。
初めての経験もたくさん。
驚きの発見や。
とても多くの出会いや。
モノ作りの現場の空気を味わったり。
何かが生まれる瞬間を目撃したり。
それが編集というプロセスを経て、とても豊かなものになっていたり。

そして、とてもとても多くの感謝すべき瞬間に立ち会ったのです。

人という存在の素晴らしさを常に感じていました。



そしてまた、ちょっとツラい事もたくさん。

「迷惑」という表現では足りない大きな事を強いてしまったり。
人生の道のりを変える結果にさせてしまったり。
明らかに理不尽な事を強要されたり。
いただいたご意見を活かせなかったり。
とても一方的な理屈を飲み込まされたり。
人を裏切る片棒を担がされたり。



そして、とても大きなウソをつきました。
このブログを書く以上、そういう側面もあった事を告白しておきます。
内容は墓場まで持って行きます。





思い返すといろんな事があったな・・・と、穏やかに振り返るには、まだまだ時間がかかりそう。
というより、ずっと充実感と後悔を背負う気がしております。


それでも。

この映画作りに関わって良かったと思っております。
映画「海炭市叙景」にお金を払う価値があるのか・・・人によって千差万別としか言えないのですが、見終わったあとに何かが体の中に残る作品と思っております。

見ていただいた方に、何かが伝わればいいな。
そう祈りながらの日々を、これからも過ごします。




ぜひ、何かの機会に映画や小説の「海炭市叙景」に触れていただく方が、これからも増えていただけますように。





撮影中のエピソードは、これまでの当ブログで2010年2月~3月で触れておりますので、今後はそれ以降の裏話などにシフトしようと思っております。




・・・重く、つまらない独白になってしまい、申し訳ありません。

クイズの答えも、次のブログにて!

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2011年09月12日

足跡その54~いろんなハードルを飛び越す


2010年2月中旬、クランクイン直前の「寝る間を惜しんで」の作業が続いていました。

場所・モノ・人員の確保。
天気を考えながらのスケジュール調整と、ロケ候補地の皆様との打ち合わせ。
事前に函館入りしていたスタッフとは、すでに「恋人か!」ってなくらいの何時間かおきの電話のやりとり(・・・男性同士ですが)。


作業のひとつひとつが、「このくらいの時間・労力で完結させよう」という予定を変えまくる不確定要素たっぷりの事柄ばかりでした。


たとえば室内シーンのための机などの家財道具をお借りする場合。

候補の方と連絡がつき。
モノを写真に撮ってメールで送っていただき。
「これはイメージぴったり!取りにいきたい」とお返事。
お伺いする日時の候補をいくつか出していただき。
取りに行ける人員とトラックのスケジュールを調整し。
段取りをつけて先方に連絡し、日時を確定。
ところが・・・前日になって撮影が1週間後に変更となり。
平謝りしながらスケジュール再調整をお願いし。
ついに当日、と思ったら先方から「子供が熱を出したので病院に行きたい。午前の受け渡しを午後にできないでしょうか」と連絡があり。
もう全力で午後に動けるようスケジュール調整し。
万事うまく予定を変更できて午後にトラックで向かい。
なんと、トラックが入ると後続車が通れなくなってしまう細い道・・・なのでドライバーを運転席に残して、一人足りない状況で家財道具を運搬。
まずは元に戻せるように、本や文具など「どこに何が、どう置いてあったか」をデジカメ撮影してから分解、トラックへ搬入。
やばい、雪が降りそうだっっっという空模様なのでスピードアップで作業。
なんとか壁などにも傷つけずにトラックに積み込み完了!


まあ、どんな職業でもよくある展開とは思います。
我々の場合、仕事や学校の空き時間を使って動いているスタッフが多いため、2~3時間の予定変更が、大ピンチになってしまう事もしばしばでした。


しかし、これもまだまだリハーサルみたいなもの。
撮影がはじまったら、天気や、演技や、機材や、周辺の交通事情や、周辺住民への迷惑や、とにかく色々な要素で終わりの時間が見えない場合が多々ありました。

特に、雪がほしい場面。
そして晴れてほしい場面。
フェリーの船上でのシーンは、「もうスケジュール上、今しか撮影できない」との理由で悪天候の中を乗船し、まさに奇跡的な一瞬の天候の変化の時に撮影いたしました。


そうやって、様々な想定内・想定外の大きな・・・もしくは小さなハードルをひとつひとつ飛び越えて行きました。





(続く)





そしてっ!
前回のクイズの答えです。

「サッカーのボール」でした。
サッカーのボール(さかのぼる)なんて言いますものね。


さあ、すぐに次っ!


「特に何もしていないのに、どんどん増える花ってなーんだ?」

答えは次回のブログにて!


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2011年09月07日

足跡その53~メールでの連絡の膨大さといったら


2010年の2月から3月に行われた撮影。
我々のメーリングリストも、フルに活用されました。

1月~3月で送信された全体メールは、およそ680件。
単純計算で毎日7~8通のメール連絡があった事になります。
個人宛のやりとりメールを含めると、更にすごい量になります。
全体送信のもののタイトルを一部抜粋しただけでも、当時の状況が想像できますでしょうか。

たとえば2月中に送信されたメールのタイトルから、いくつか抜粋してみます。



・・・・・ 調達に関するメール ・・・・・

長ばしごはあり
暖房とハイエース
車の写真
募集!部屋にありそうなグッズ
募集中、部屋の写真やアイテム
子ども部屋
撮影用もろもろレンタルのお願い
案件ひとつ解決だ!
トラック2台確保
スチームクリーナー

・・・色々なものが急きょ必要になったりという時に、メールはすごい存在感で役に立ちました。



・・・・・ タイトルだけで展開の流れがわかるメール ・・・・・

保管場所未定
ピンチ脱出!
あらためて「公用車に見えそうな車」半日レンタルのお願い
ハイエース ピンチ
ピンチ仮の脱出
ハイエースはOK
車両部からのお願い
いかにも公用車は継続募集

・・・スリリングです。送られてくるメールが短編小説のような展開でした。




・・・・・ 人に関するメール ・・・・・

14日のコンテナ作業の確認
撮影中の車での協力体制について 一次案内
オーディション合格者への連絡
2月18日 時間のある方は是非
本日の夕方から夜の撮影
エキストラ班の方へPS皆様へ
募集~明日夕方に作業
急でしかも重要な連絡が一件
忘れてた
やっちまった
明日のエキストラ、緊急募集!
一難去ってまた・・・
急ぎ募集!
函館山初詣大量動員を!
函館山連絡は少し待って!


・・・「忘れてた」「やっちまった」という、ドキっとするタイトルは体に悪いっす。



・・・・・ 状況報告メール ・・・・・

募金状況と各地からの応援メッセージ
13,14日に台本配布します。
協賛1件
トラック第一日目終了
食事班すごいです
クランクイン!
豪華なロケ弁!
兄妹住居修理完了!
明日23日、各班よろしく!
現時点での一覧表です
通信3号あと8部
募金は続いています!

・・・なるべく楽しい事を発信しようと心掛けつつ、最終的には「なんとか誰かお願いっ」というパターンになる事も多かったのでした。



上記だけで、1週間分にも満たないって感じのメール量だったのです。
この他に、直接の電話でのやり取りも大量にあったので、撮影現場にいなくても映画作りができるんだ・・・と実感できた日々でした。
そうそう、そうだった。


なにか、最近は苦労自慢みたいなブログになりつつありますね。
海より深く反省。
映画を作ろうとしている方の、何かの参考になればと思い、怒涛の撮影期間をもう少し振り返ってみます。





(続く)





そして!
前回のクイズの答えです。

「おちょこ(おチョコ)」でした。

こりゃあ、甘いわけだ。

さあっ次っ!


「アイドルやフランケンシュタインと仲間になれる言葉はどっち?
『プール』 or 『公園』」

答えは次回のブログにてっ!


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2011年09月05日

足跡その52~クランクイン1ヶ月前の状態


イベント「海炭市cafe」が大雪となった2010年1月16日に開催され。
いよいよクランクインまであと1ヶ月となりました。



この時は、かなりの密度の日々だったと、振り返ってあらためて気付きます。



1月後半はこんなスケジュールでした。

1/16 「海炭市cafe」
1/17 市民キャストのオーディション(翌月すぐに第2回も開催されることとなりました)
1/20 進水式の撮影(俳優なし、全体的な雰囲気を撮影する)、実行委ミーティング
1/27 実行委ミーティング




この1月後半の間に、まだ確定できなかったロケ場所がひとつひとつ決まっていきました。
特に、登場人物の家は確定までにかなりの困難を経験しました。

また函館市・北斗市のガス店は、ほぼすべてのお店の外観を記録用に写真に撮らせていただき、監督に見ていただいて候補を絞り込むという作業・・・普段の仕事が始まる前、休憩時間、仕事終了後の時間をフル活用したのが懐かしいです。




更に。

・撮影期間ずっと使える機材車となる車の確保(もしくは使用可能な日のスケジューリング)。
・大学の映画サークルなど、声掛けによるフォロー人員の確保。
・毎日の食事ケータリング用の食材の確保。
・事務作業用のプリンター、専用電話などの調達。
・シーンごとに映りこむ小道具の調達(たとえば「ガス店の子供部屋にあるべき家財道具一式!みたいな感じ)。
・オーディション参加者のとりまとめ、役柄ごとのオーディション時間スケジュール作成、個別連絡・・・1回目のオーディションは時間がずれ込みにずれ込んで、大変な長時間お待たせさせてしまった方も多かったので、ここには特に力を入れて準備しました。

・そして募金活動と協賛依頼



この間にメインキャストも続々と決まり。
・・・というか、クランクイン1ヶ月前って、普通はありえない展開?

振り返ったり、充分な作戦会議をする間もないまま、実行委メンバー個人の資質に頼りながらの毎日だったのです。



密度を濃くしながら、クランクインの2月へと向かいました。






(続く)




そして!
前回のクイズの答えです。

「山」でした。
なんたってスパイなので、盗聴(登頂)が得意なのですよね。


さあっ次っ!


「疲れがひどすぎると、他のメンバーに対してもギスギスしちゃうよね。
チーム海炭市がそうならずに済んだのは、この食べ物のおかげでした。
冬ならではの、この食べ物ってなーんだ?」

答えは次回のブログにてっ!

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2011年09月04日

足跡その51~撮影直前の最終イベント「海炭市cafe」


昨日お伝えした小林薫さんの奥様・小梅さんは、「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」に出演されていたのですね。
2010年公開、大森立嗣さん脚本・監督、小林夫妻が出演!
「海炭市叙景」とのつながりが発展している・・・と勝手に感激しております。




そして、その2010年。
「海炭市叙景」クランクインの1ヶ月前に、山のような準備と並行してイベントを開催しました。
撮影前としてはラストとなるイベント「海炭市cafe」です。

これまでの朗読会やバネル展などのイベントは、どうしても見ていただく方の年齢が「大人の方」が大半をしめる傾向にありました。
ぜひ10代、20代などの佐藤泰志をまったく知らないという方々にも、このプロジェクトを知っていただきたいと思ってのイベント実施だったのです。




フリーマーケットや喫茶&バー、これまでの(それこそ80年代のものも!)出版・記事掲載されたものの展示。
パネルや佐藤泰志文学講座。
音楽ステージ、スペシャル版メイキング映像の上映。
実行委員長が以前、地元FM局でDJをしていた番組「カルデサック~音楽の隠れ家」の再現。
そして、小学生による落語!

この落語は小学2年生の柱仙吉、6年生の柱玄吉兄弟によるものでした。
これが実に見事!
この後に登場した、当実行委の三遊亭洋楽さんもニヤニヤしてました。

この2人は音楽の才能もズバ抜けていて。

今年6月に函館でコンサートを行なった「熱帯JAZZ楽団」のステージに、オーディションで合格して演奏者として登場!
http://www.hakodate150plus.com/news/2011/06/post-283.html

先週行なわれた「ざいだんフェスティバル」でも熱い演奏を!
http://www.hakodate150plus.com/news/2011/08/post-333.html

ざいだんフェスで共演したもう1組の吉村兄弟は、やはり「海炭市cafe」でも演奏を披露し、更に実行委メンバーとしてアニは、撮影中などでも苦しいところに登場しては見事なフォローをし続けてくれました。




特に言いだしっぺとして「海炭市cafe」のあらゆる面をフォロー&サポート&相談役になった小田桐店長は、とてつもない重圧に立ち向かう日々となりました。
よくがんばった!




予想を大幅に超える売り上げと募金が集り、様々な世代へのアピールという目的も一定の成果を挙げ。
ついに撮影そのものにどっぷりと漬かる2ヶ月間に突入する事となりました。






(続く)






そして!
前回のクイズの答えです。

「ドーナツ(どお、夏)」でした。


はいはい、すぐに次っ!


「夏は海や山に繰り出す方が多かった。
さて、007は海と山はどっちが好きでしょう?」

答えは次回のブログにてっ!


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2011年09月01日

足跡その50~海炭市イヤーの夜明け


2010年。

1月に急ピッチで撮影準備が行われ。
2月にクランクイン。
3月にクランクアップを迎え。
4月に編集作業が行なわれ。

10月の完成試写会。
11月の函館先行上映。
12月の全国順次ロードショーの、スタート。

春から秋にかけても多くの出来事がありましたが。
あえてお伝えするものでもない、または我々だけが知っているにとどめるべき事もたくさんありました。


秘密があったほうが、想像力を働かせる楽しみがあると思っております。
あと2ヶ月の間に、映画作りの舞台裏をご紹介しつつ、想像にまかせる部分も護っていきますね。

とりあえず、2010年(そんな物語がありました!)の夜明け。
まさに海炭市叙景の映画化にとっての、待ちわびた夜明けでした。


それは、猛吹雪でした。


ああっ!
これは何かの象徴ではない!
絶対ない!
と思いこみました。

熊切監督、近藤撮影監督、そして実行委メンバーで1月1日の夜明け前に歩いて登った臥牛山。

あとから考えると、あの天候で歩いて登ったという事実が、登らなかったメンバーに火をつけたのだと思います。
中には、飲食店経営で大晦日の夜もずっと働きっぱなしで登山に参加したメンバーも!




その元旦の初日の出は、祝福するかのように。
下山したあとにメンバーを照らすべく姿を見せてくれました。



函館の様々な場所で、そして札幌で、東京で。
各地で初日の出を見たみんなが、2010年の始まりの日に「海炭市叙景」の事を思っていた。

これは素晴らしい事でした。
願うという事は、結果的に叶うこともそうですし、願ったみんながつながったと感じられるのが素晴らしいことだと、今でも思っております。

吹雪で山頂からの日の出を体感できませんでしたが、まぎれもなく、この上ないスタートになったのです。




(続く)





そして!
前回のクイズの答えです。

「東」でした。
英語にすると「HeがShe」ですものね。


さあ、次っ!


「1個でちゃんと役立ってるのに、半人前と言われてしまうものってなーんだ?」

答えは次回のブログにて!

2010初日の出登山DSC_3262




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2011年08月30日

足跡その49~予期せぬ多方面からの応援をいただきました


課題のひとつに。
認知度をいかに上げるか、という事がありました。

函館で生まれ育った方でも、佐藤泰志を知っているという方はごく一部にとどまっている状況。
まずは、いかに知っていただくか。
そして、函館の地をモデルに描いた「海炭市叙景」をここで撮影して映画にする事まで聞いていただけるか。

更にそこから製作資金への募金へとつながるよう、心を動かすことができるか。



地元のみならず、全国へ発信するのは大きな課題となりました。



そんな我々にとって、とても嬉しい応援を多方面からいただきはじめました。

道内(北海道内)の温泉などにとても詳しいライターの舘浦あざらしさんは、個人的に我々のプロジェクトを偶然知って、レギュラー出演のラジオ番組やイベントで紹介していただきました。
函館の書店でのイベントでは、実行委メンバーもゲストとしてトークさせていただいたのです!

函館港イルミナシオン映画祭でも、寺脇研さんをはじめ様々な方に応援していただきました。
映画祭の顔であるあがた森魚さんには、ご自身の映画上映後のトークにもかかわらず、熱く「海炭市叙景」について語っていただき、ただただ感謝です。


まったく予想していなかった大きな応援の数々に、進んできた、そしてこれから進むべき道が間違っていなかったのだと少しづつ確信に近いものを感じ始めていました。


そして、あっという間に年末。
クリスマスイベントへの飛び入り参加や、青函連絡船でのイベントなどを経て。
物語の重要な場面のひとつである、山頂での初日の出の時を迎えることになります。


この特別な日のために、熊切和嘉監督と、近藤龍人撮影監督がやってきました。





(続く)






そして。
前回のクイズの答えです。

「10人」でした。
アパートに住んでいるので、住人(10人)ですものね。


さあっ。
次っ!


「海炭市で働くOLさんが、愛をこめたプレゼントを準備しています。
さて、それはどんな物?」

答えは次回のブログにて!

091205イルミナシオン映画祭のシンポジウム




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2011年08月29日

足跡その48~クランクイン3ヶ月前に


年明けのクランクインが決定的となり。
心配な点は、雪が撮影期間中ずっとあるか・・・という事でした。

まあ、今から心配してもしょうがない!
まずはやるべき山ほどの事を、ひとつひとつクリアする事に集中です。


2009年11月はじめ。
クランクインまで3ヶ月少々。

この時点で、会社や団体からの協賛は合計54件も!
中には、「完成したらぜひ上映させてくれ」という手付金のような形で協賛いただいた映画館も複数ありました。

まだ撮影すらしていない作品に。

ただただ感謝です。



・大口の協賛を更に集めること(11月中に集中的に営業活動を行なう!)。
・活動を広くアピールし、個人の協賛につなげること。
・撮影に必要なロケ場所、想定される必要な小物や車や大道具、宿泊場所(それも超格安で!)や日々の食事、猫や豚など物語の重要な要素となる動物、毎日の撮影をフォローするための実行委メンバーの人数不足の解消・・・などの確定もしくは候補のリストアップ。

準備する事は、本当にいくらでもありました。




この他、更なるアピールのためのイベント露出なども計画。

・12/1に、文学館を会場にしてのイベント。
・12/4~6の「2009函館港イルミナシオン映画祭」に参加(結果的にアピールの機会のほか、協賛までいただいてしまいました。大感謝!)。
・できれば11月中の「海炭市通信」最新号の発行。



そして、この12月~翌1月の直前イベントで出会った、腕に覚えのある・もしくは「特技はない」と控えめアピールしながらも身を粉にする行動がまぶしい様々な分野の方々が、なんと続々と我々の仲間になってくれたのです。





(続く)






そして。
前回のクイズの答えです。

「三重」でした。
言葉の後に「る」をつけて、別な言葉になるというグループだったのです。
「コマる」「シカる」そして「ミエる」。


なるほど!
さあ。
すぐに次っ!


「あっ、アパートに住んでる人が出てきたぞ。
いっぱいいるなあ。
さて、何人いた?」

答えは次回のブログにてっ!

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2011年08月27日

足跡その47~川本三郎さんがやって来た!


川本三郎さんをお招きしてのイベントは2009年10月に実現しました。

実行委を立ち上げてすぐに作った募金呼びかけチラシにもコメントをいただき、その半年後に海炭市に来ていただいたのです。


イベントは2日連続という嬉しい内容でした。
10/3(土)は講演会。
10/4(日)は映画上映とトークショー。


初日となる「川本三郎講演会『わが町から生まれる文学』」は、臥牛山の麓にあり、長い年月を経た事を感じさせる重厚なたたずまいの「函館市公民館」にて行う事が出来ました。

ギターとベースのデュオによるコンサートあり(終盤には実行委メンバーもボーカルとして参加!)。
町の風景などをスライド映像で映写しながらグランドピアノによる伴奏を加えての朗読。
この日のために製作したスペシャル版のメイキング映像の上映も行いました。

そして、いよいよ。
後半は川本三郎さんによる講演会です。
タイトルどおり、函館で生活する人達には「海炭市叙景」が特別な作品だという事などをお話しいただきました。
読んでいると風景が頭に浮かび。
気候なども実感として感じられ。
映画を見る時もすんなりと映像の街並みに入り込み、映画館を出てからも同じ風景が続いているぜいたく!

今だから言えますが。
「ここだけの話」として、当時はまだ発表すらされていなかった映画「マイ・バック・ページ」のお話もしていただきました。
原作者であり主人公である若き日の川本さんを妻夫木聡さんが演じる・・・とこっそり教えていただき会場中がざわめいてましたね。


2日目は「成瀬巳喜男 没後40年 川本三郎が語る『成瀬巳喜男と昭和の風景』」です。

監督・成瀬巳喜男、脚本・水木洋子、出演・田中絹代、香川京子、加東大介ほかの昭和27年作品「おかあさん」の上映と、トークショーです。
香川京子さんは落ち着いた日本のお母さんのイメージですが、いえいえこの作品は50数年前の撮影。
田中絹代さん演じる懸命なおかあさんをけなげに見つめる長女の役柄でした。

上映中はすすり泣く声もあちこちで。
終了後の川本さんトークは、やはりあたたかいトーンで穏やかに2日間のイベントを締めくくっていただきました。


このイベントが終了したあと、函館チームの地道な活動から、一気に具体的な準備をしつつ全国展開に広げるべく。
映画を作るための組織である「『海炭市叙景』製作委員会」が発足する事となります。




(続く)




そして。
前回のクイズの答えです。

「縦に切ったので1mのままだった」でした。


てへへ。
すぐに次っ!


「とってもおいしそうなのに、作りっぱなしでテーブルに運ばれないケーキってなーんだ?」

答えは次回のブログにてっ!


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足跡その46~想定外とは


2009年に入ってすぐに、ファミリーと言うべき集合体となった我々。
普通の家族とは逆に、行動を先行させながらお互いの人となりを発見する日々を重ねていきました。

予定していた冬の撮影スタート。
それは11~12月という年内スタートの構想を変更し、年明けから雪がなくなるまでの間という状況になってきました。

想定内です。
そうじゃない説明をたくさんしてしまったけど。
その点については誠意をもって対応いたします。





今から考えると。
「想定内」という言葉が脚光をあびた時期があったな。
強がりかもしれないけれど、信用に値すると思わせるなら・・・新しい道を切り開く事を目撃することになるな。
と思ったのです。

そして2011年3月11日以降は。
「想定外で仕方なかった」という言葉を数多く聞きました。
一般人でもその不安があったのに、プロフェッショナルにとってそれが想定外なら。
"己の能力のなさ"を言葉を変えて説明してるだけにしか聞えませんでした。

責任とは?
いさぎよさとは?


・・・すみません、脱線しましたね。






とにかく我々は、予定外の、予想外の事が起きた時に。
できるかぎり誠実に対応しようと思ったのです。
でも、そうならなかった場面も多々ありました。

たとえば市民キャストのオーディション時には。
予定を明確にお伝えしなかったとはいえ、5時間とか10時間という待ち時間となってしまった方もいらっしゃいました。
ほとんど、謝辞を伝えることしかできなかった事を、この場を借りてお詫び申し上げます。



合否のお知らせも、すぐに決定する予定が、撮影ギリギリまで決定できなかった役柄も・・・。
これは、我々がとても迷ったためです。
合否の連絡を待ち続けて、結果として落選になった方には大変申し訳ありませんでした。

ただ、連絡を待ち続ける結果となってしまった方は、他に役柄を作ってでも出演していただきたい・・・という存在感の方だったのです。

今回は縁がなかった、という言葉ではとても足りないくらい、海炭市民だったのです。



一期一会であるとは思っております。

けれども。

また何かの機会に再び、新しいものを生み出せるのではないかと、そう思って、願っております。



そんな、発見と反省の日々を重ねてきました。







(続く)






そして!
前回のクイズの答えです。

「親子丼」でした。
だって、親子丼は取りに行く(鶏肉)、ですものね。


さっ、次っ!

「長さ1mの木材を半分に切ったけど、50cmにはなりませんでした。なぜ?」

答えは次回のブログにて!

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2011年08月25日

足跡その45~パネル展を2連続で実施


今日は給料日という方も多いかも。
次と、その次の給料日が来たら、いよいよDVD発売です。

お小遣いをためなくては!


さて、その頃までに足跡をゴールさせるとなると。
やや急ぎ気味で振り返らなければ。

なるべく短めに、駆け足で振り返っていきますね。




2年前の8月末から9月にかけて、2ヶ所でパネル展を開催する事ができました。

8/30(日)は、函館山の麓「まちづくりセンター」でのNPOまつりに参加。
市内で様々な活動をしている方々と、その活動を見に来た方々にアピールさせていただきました。

1日おいて9/1(火)~11(金)は五稜郭タワーでの長期間パネル展です。
期間中には「海炭市叙景」に登場する音楽を再現するコンサートや、市内で演劇活動する団体「劇団G4」による朗読もステージで開催しました。

この朗読メンバーのおひとりの、その奥様が実は市民キャストとして映画に出演していただく事になるとは。
この時には、知るよしもありませんでした。




この間に、並行した動きもいろいろ。

・9/11のバル街は、イベント実施ではなく告知映像の上映と、飲み歩きながらの各自のPRのみに決定
・10月の川本三郎さん講演会の準備
・東京での脚本家(宇治田さんです!)も交えてのミーティング

などが、役割分担の上それぞれ動いていました。





(続く)




そして!
前回のクイズの答えです。

「ラッコ」でした。
デカイお腹終わる・・・でかいおなかおわる・・・(並べかえたら)おなかでかいおわる・・・お腹で貝を割る



坂井真紀さん、ご出産おめでとうございます!



さあ、次っ!

「カツ丼、天丼、親子丼。注文しても店員さんが持ってきてくれないのはどれ?」

答えは次回のブログにてっ!

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2011年08月22日

足跡その44~2年前の現状


ちょうど2年前の7~8月のミーティング資料などを見ております。

この頃に、メインキャストの方々の名前が挙がってきました。
「ええっ本当?」と、その名前を聞いて実行委メンバー全員が盛り上がりました!

できれば8月末までには、メインキャストとして発表できるよう確定のお返事を頂きたいな、という展開。


撮影クルーとなる方の、いま市内映画館で見られる作品なども調べ、どんどんクランクインに向けて動き出している実感が出てきたのです。



また、日本映画をとりまく現状も勉強しました。
我々でもその名を耳にしたことがある有名な配給会社も、経営的には苦しい状況だという事を知ったり。
映画DVDが以前よりは販売数が下ってきていたり。



いずれにせよ。
急いで大きな額の製作資金を集めなければいけない事に変わりはありません。


8月末の「NPOまつり」と「パネル展&朗読・音楽イベント」でアピールし、役割分担をしての募金活動スケジュールを詰めていきました。



(続く)




そして。
前回のクイズの答えです。

「こうもり(子守り)」でした。

・・・ちょっと苦しい?



さっ。
次いってみよう!

「妊婦さんが安産のお守りに使う布団ってどんなの?」

答えは次回のブログにてっ!

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2011年08月18日

足跡その43~夏から秋の期間でやれる事


2009年の7月に街頭募金を行い。
夏祭りやお盆の時期をはさんで8月後半にミーティングを行ないました。

まだまだ製作資金は足りなくて。
函館チームで2,000万円を集めるとすれば。
この冬の撮影開始までの間に達成するには大きな行動が必要・・・という状況です。

大口協賛や助成金申請などは、私が担当となりました。
そのほか、個別に各メンバーが飛び込営業のような協賛お願いに走り回り。
函館周辺のみならず、全国・海外へのアプローチも考え。



そして重要なのは、こういう映画を作るためにあなたの力が必要です!というアピールです。
まだまだこのプロジェクトを知らない、という方のほうが函館だけでも圧倒的に多いはず。
知っていただけたら協力をしてもらえるに違いない・・・根拠もなく、というかそういう思いを持っていないとこの金額は集められません。



イベントでアピールできるところに参加!
・・・8月末の「NPOまつり」でスペースをいただく。
・・・9月の人気イベント「バル街」でスペースをいただく

自主イベント
・・・9月上旬に、観光客が多く訪れる五稜郭タワーで紹介パネル展開催
・・・10月に川本三郎さんをお招きしての講演会開催



次の3ヶ月で上記アピールを行い、冬のクランクインまでに資金調達をするという事で方向を統一しました。

ここから、個人個人の力が更に発揮される展開となっていったのです。




(続く)




そして!
前回のクイズの答えです。

「柿(夏季)」
でした。



さあ、次っ!

「買い物をしても、そのものを置いてきてしまうのは何屋さん?」

答えは次回のブログにて!

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2011年08月16日

足跡その42~街頭募金での出会い


街頭募金を行なったのは、2009年7月26日でした。

前日は強い雨。
きれいな朝焼けで始まったその日は、午前7時頃には小雨が降ってくる寒い朝。
そして募金スタートとなるお昼12時から終了の午後2時は、陽射しこそ強くはなかったものの、蒸し暑い初夏の気候となりました。


この日はじめてイベント参加した実行委メンバーが複数いて。
仕事で街頭募金のすぐ近くにいたメンバーも。
丸井の前での募金を、札幌の丸井と勘違いしたメンバー(札幌在住)も・・・この方はその後、「海炭市叙景」文庫化の大きなきっかけを作り出すことになります。

はじめての集まりから半年たったこの日。
進み続けるごとに仲間が増えていく実感がありました。




そして、募金活動は更なる出会いの場でもあったのです。


道路の反対側から、募金するためだけに信号を渡って来てくれた方。
チラシ配布を申し出てくれた方。
応援の声をかけてくれた方。
チラシを渡そうとしたら「もう知ってるからいいよ」と言ってくれた方。


とても多くの方に、様々な形で応援の気持ちをいただきました。
この場を借りて、あらためて感謝申し上げます。




この試みでは、製作資金となる募金と共に、とてもたくさんの想いを感じさせていただきました。

これはきっと、良い形に成熟するに違いない。
たとえ製作資金が倍になっても、きっと完成させる事ができる。

そう感じました。






(続く)






そしてっ。
前回のクイズの答えです。

「潜水艦(センスいかん)」でした。


さ、次っ!

「出かける前に。
洗う食器がたくさん、汚れた衣服もたくさん、ちらかった子供のおもちゃもたくさん。
とりあえずひとつだけでも・・・。
さて、この人はどの家事を選んだでしょう」

答えは次回のブログにて。

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2011年08月15日

足跡その41~手続きがやっと完了


とりあえず手続きのために訪れた中央警察署。
準備不足が多々ありました。

・添付する募金予定場所の地図は、同じものが2枚必要
・同じく添付する「団体の活動を証明する作成物」としての募金呼びかけチラシも2枚
・印鑑は代表者のもので、シャチハタはダメ



これじゃあいけない、と家に書類を持ち帰り、翌日に再チャレンジです。
実行委員長のもとへ行って2枚の書類にハンコもいただき。
でも、ひょっとして、何か書き直しになったら困ると思い、念のためハンコをお借りしました。

そして翌日。
仕事の休み時間を利用して中央署へ。

ああ、しかし、なんと!




窓口にはお昼休みがあったのです。

え、ええっ!



窓口があく時間と、会社まで戻るための所要時間を計算し、これは座らずに窓口の前で立って待たねば・・・なんて展開。
一番に書類を提出したら、なるべく最高の笑顔で、窓口のお姉さんにサササッと気持ちよく受付完了にしてもらわなきゃいけません。




さあ、窓口再開!
もちろんトップバッターで書類提出!
うんうん、大丈夫そう。

そしてお姉さん。
「はい、書類は大丈夫です。
では、隣の窓口で収入印紙2,500円ぶんを購入してここに貼り付けて、もう一度こちらに持ってきてください。」



え、え、えええっ!



手持ちの財布には、そこまでお金が入っていないような・・・。
できるかぎりのポーカーフェイスで「わかりました」と答えてささっと移動。
所持金をさりげなく大急ぎで確認すると、ギリギリセーフでした。

見た目はゆったり、しかし内心は大急ぎで収入印紙を購入。
書類を提出し、ダッシュで会社に戻ってこれまたギリギリセーフ。

結果的に書類提出は実施5日前。
了承が出たのは2日前という状況でした。



提出時の、ひとり相撲のドキドキを誰にも知られることなく、街頭募金の日を迎えました。




(続く)




そして。
前回のクイズの答えです。

「サイズが大きかった。
部下が2人だったので、ブカブカ(部下部下)だったから」

というわけでした。



すぐに次っ!

「どんな服を着ても”趣味がよくない”と言われてしまうのは、どんな乗り物?」


答えは次回のブログにてっ!

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2011年08月14日

足跡その40~街頭募金の手続き方法を問い合わせたら


アピールだ!
函館市民の手による、函館の街をモデルとした、函館の作家が作り上げた物語を映画化!

これまでの手法とは別な事をしなければ。
これまで届かなかった方々に、プロジェクトの存在を知っていただかなければ。


街頭募金を考えました。
やるなら函館の一等地で!

なら、本町の丸井デパート前です。

首都圏にある丸井とは別の、函館の老舗「丸井今井デパート」です。
「丸井さん」と親しみを込めて呼ばれるデパート。
やるなら、ここの前にて!


というわけで、街頭募金の許可をどうすれば取れるのか分からず、道路だから警察だ!と思い電話をかけてみました。
「道路使用許可申請書」に、必要事項を記入。
使用したい場所の地図も必要なのだそうです。

急いで函館中央警察署に行って、書類を作ろうと思ったのですが、その日だけでは手続きは終わりませんでした。




(続く)




そして。
前回のクイズの答えです。

「ウグイス」でした。


・・・ベタですね。
さあっ、次っ!

「会社の新人が2人やって来たけど、制服のサイズが全然あってないみたい。
さて、サイズは大きかった?小さかった?」

答えは次回のブログにてっ!

8mm撮影at漁港




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2011年08月13日

足跡その39~発足4ヶ月目からの展開


最初の3ヶ月を終え、想像以上に映画化への反応がある事がわかりました。

佐藤泰志のために。
函館の文化のために。
函館ロケの映画のために。
知人にお願いされたから募金。

まあ、様々な理由があるのかと。


とはいえ、実際の映画化にはまだまだ製作資金が足りないのが現状。
もっと様々な方々に、このプロジェクトを知っていただければ実現の道が具体的に見えてきます。



イベント実施と既存のものへの参加

・川本三郎さんを招いてのイベント実施
・8月の「NPOまつり」への参加
・12月の函館市文学館イベント「文学の夕べ」への参加


そして、7月のうちにすぐ実行できる事として。

・街頭での募金活動
・「海炭市通信」第2号の発行
・ブログの立ち上げ

も行ないました。


当ブログはこの時にスタートさせました。
実行委ホームページはあったものの、なかなか記載できる新しいニュースの頻度を上げられず・・・。
素人集団の映画作り奮闘の舞台裏的なもので、何かの興味のきっかけになればという、「やれる事は全部やる」のひとつでした。
そして、通信のweb版のようなツールもあれば良いな、という思いと。

気がつけば上映開始後も続けて、まもなくスタートから25ヶ月。
DVD発売までは続けようと思っております。

それまでに、思い起こしながら足跡を残していきます。




(続く)




そして。
前回のクイズの答えです。

「オートロック(王、トロを食う)」でした。


・・・強引?

ではすぐに次っ!


「空を見ろ!
イスが飛んでるっ!
さて、どんなイス?」

答えは次回のブログにて。

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2011年08月12日

足跡その38~製作費が倍の構想に?!ウソでしょ!


実行委メンバーのつながりだけでは、到底1,000万円には達しないと思われた2009年6月。
しかし、実は。

「この映画はとても素晴らしいものになる手ごたえがある。なので、規模的にも倍の予算というスケールでやるべきだ。」

という意見が出てきました。
まずは東京チームで2,000万を集める。
函館でも同じ規模を集め、この作品にふさわしい(と言っても、充分「低予算」の金額ではあります)スケールにしたい。



我々にとってはチンプンカンプン。
2,000万円で作る映画と、4,000万円で作る映画。
どのくらい違うか、どちらもすでに想像できない大きな金額なのですから。

今から振り返ると。
結果的には更に大きな規模の金額となりました。
そしてお金以外の労力や食材の協賛を多数いただき、東京から来てくれたスタッフの考えられない負担もあり。
額面以上の密度になっている手ごたえ。

たぶん億単位のスケールで作り上げたのではないかと、勝手な想像をしております。




そして、その時は。
「もしお金を集められそうになかったら、最初の構想に戻そう。まずはやれるだけやってみよう」という、なかば強引なとりまとめでした。



一番の不安は。
「また何ヶ月か経ったら、更に規模を拡大して3,000万集めたい・・・なんて事にもなるのかも」というような事でした。

でも。
まずは。

函館チームで2,000万円を集めるための作戦をたてました。
1万円づつで2千件の協賛。
5万、10万という大きなものもあると信じて、まずは市内の企業や病院をかたっぱしからリストアップ。
でも、そのすべてを限られた人数の実行委でお願いには行けないので、ちょっとでも関わりがありそうなところから各メンバーがお願いに動き回りました。





函館で作ることに意義がある映画。
地元のために力を貸してくれそうな方々はどこに?

まったくの主婦である実行委メンバーまで、飛び込み営業をするという日々が始まったのです。







「『今度は夏にこよう。あちこち案内する』
『あのね』
『なんだい』
『あんたは今にきっといい小説が書けるわ』」

(青い空の下の海 from 「海炭市叙景」 / 佐藤泰志)







(続く)





そして。
前回のクイズの答えです。

「ピーナツ(ピー夏)」でした。


・・・ちょっと苦しい?
さあさあっ、すぐに次!


「王様がマンションに引っ越した!
どんなマンションかきいてみたら、”おすし屋さんでトロを食べてるときみたい”。
んっ?
さて、どんな特長のマンションでしょう」

言っておきますが、単なるダジャレ(今回もちょっと苦しい?)です。
答えは次回のブログにてっ!

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2011年08月11日

足跡その37~募金活動


実行委発足後に、監督とプロデューサーのトークショー、バル街イベントに参加、岡崎武志さんの講演会を実施しました。

そして、この後は本格的に映画製作資金を集めるための活動に入ります。


実は岡崎さんの講演会の翌日に、2基ある函館ドックのゴライアスクレーンのうちの1基が撤去されました。
残りの1基も、その1週間後に撤去。
2009年6月の印象的な出来事です。


その様子は、実行委メンバーがそれぞれ持っている、市販されているビデオカメラなどの一般機材で撮影しました。


しかし、その感慨にひたる間もなく、映画製作のための活動はどんどん活発になっていきました。
関係のありそうな方々、知人友人、文化的事業に理解を示してくれそうな団体・個人。

想像力をフル回転してのリスト作り。

そして、街頭募金の計画もすすめられました。




(続く)




そしてっ。
前回のクイズの答えです。

「家具売り場(嗅ぐ売り場)」でした。


さっ。
次っ!


「暑い夏、食べ過ぎるとお腹の調子が良くない事になってしまう食べ物は?」

答えは次回のブログにてっ!

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足跡その36~岡崎武志さんの講演会

2009年6月20日に実施したイベントのタイトルは
「本を好きになる 佐藤泰志を好きになる」

でした。

書評家の岡崎武志さんを迎えての講演会が実現!



講演の前には、実行委メンバーによる朗読も行ないました。
JAZZやボブ・ディランをBGMに「まだ若い廃墟」「一滴のあこがれ」を選択。
この朗読は、以後いろいろな場所で行っていくことになります。



岡崎さんは、古い函館の電話帳を古書店から見つけ出してきてくれました。
お店の名前の傾向や、職種ごとの掲載店舗数から当時の様子を想像したり、とても面白いお話に引き込まれっぱなし。


とてもリラックスした雰囲気のイベントとなりました。
前途洋洋という気持ちにしていただいた。
そんな1日だったのです。


「今、若者が読むなら佐藤泰志だ。
描かれている若者の焦燥感は読み手の心に必ず突き刺さってくる。

映画化は東京の関係者も喜んでいる。
絶対いい映画になる。
映画化されれば文庫化されるなど雪だるま式に広がる。
ただ、最初の雪玉を転がすのは函館の人たち。
できることは何でもする。
そして、皆で完成した映画を函館で観よう。」

(講演会にて、岡崎武志さんのコメント)





(続く)




そしてっ。
前回のクイズの答えです。

「明るかった(あ、軽かった)」
でした!


さあ、次っ!


「ニオイが気になる人が、デパートでまず行く場所は?」

答えは次回のブログにてっ。

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2011年08月10日

足跡その35~イベント会場


2009年6月の岡崎武志さんの講演会の会場は、海沿いに建っている函館市勤労者総合福祉センター、通称「サン・リフレ函館」に決定しました。

労働を描き続けた佐藤泰志をテーマにした講演会にはぴったりかと。

大森浜は、砂山やバラックがあった場所。
そこにある啄木小公園から、もう少し函館山方面に進んだところにサン・リフレは位置しています。

以前、とある中学校があった場所です。




佐藤泰志が通った函館市立旭中学校は、1947年(昭和22年)という戦後間もない頃に建てられました。
1992年(平成4年)の3月末に、周辺の潮見中、新川中と統合され、1年後に新川中の校舎を使用しての新しい名前「宇賀の浦中学校」としてスタートする事になります。

佐藤泰志はその旭中に通っていました。
読書クラブに所属していて、3年生の時の部長時代に読書感想文を書きました。
その、「『赤蛙』を読んで」が、第10回北海道青少年読書感想文コンクールに入選したのです。


平成の時代に入り、統合後。
旭中の校舎は取り壊され、その場所には新しい建物が作られました。


それが、函館市勤労者総合福祉センター、通称「サン・リフレ函館」です。




佐藤泰志の母校があった場所。
そして、その母校は当実行委の菅原実行委員長の母校でもあったのです。

我々は、その場所を会場に選びました。
その建物での、「海炭市叙景」の映画化のためのイベントが実現したのが2009年6月。
実行委発足から3ヶ月目でした。




「この辺一体はバラック群がひしめき、周囲は砂山だったのだ。
 子供の頃には近づかなかった。」

(そこのみにて光り輝く / 佐藤泰志)




(続く)





そして。
前回のクイズの答えです。

「白」でした。
だって城(しろ)ですものね。



さあ、次っ!

「びっくりするくらい軽量化された電灯。
ほかにどんな特徴がある?」


答えは次回のブログにて。

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2011年08月09日

足跡その34~スタートから3ヶ月


実行委発足から3ヶ月。
その6月は、日々の活動内容が充実していく総決算のような月でした。


ミーティングの開催。
佐藤泰志夫人の喜美子さんに函館に来ていただいての懇談。
地元ラジオ局へのPR出演。
書評家・岡崎武志さんの講演会イベント。
函館ドックのゴライアスクレーン撤去。


岡崎さんのイベントでは、会場もゆかりある場所を選んだり、実行委による朗読を準備したり。
忙しいながらも、まさに充実した日々を過ごすことになりました。




(続く)




そして。
前回のクイズの答えです。

「チョコ」でした。
ちょこっとしかないんですよね。


さあ、次っ!


「道南の城といえば松前城。
さて、色は何色?」

答えは次回のブログにて!

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2011年08月08日

足跡その33~「海炭市通信」第1号


2009年5月18日付で、映画製作の進行状況をお伝えする「海炭市通信」の第1号が発行されました。


監督とプロデューサーによるロケハンの様子。
お2人の紹介と監督インタビュー。
「佐藤泰志~復活の軌跡」と題した人物像を綴る連載の第1回。
バル街イベントの様子紹介。
実行委メンバーのコメント、実行委参加の呼びかけ。
募金協力のお願い。
今後のイベント(岡崎武志さんの講演会)告知。


6ページの内容で原稿を作り、校正し、印刷し、折り込み、封筒に詰め、一定額の募金をいただいた方に郵送。

メインで製作を担当したスタッフは、ものすごく大変な作業となりました。
校正が終わり印刷できる段階になった時の、ほっとした表情といったら!



定期的に発行する計画の、この「海炭市通信」は、その度に発行数がどんどん増えていく嬉しい悲鳴をあげる事となっていきます。





「登山メンバーは午前3時半に山の駐車場を出発し、真っ暗な道を黙々と歩くこと約40分で展望台に到着。
 寒さに震えながらしばし待つと、光り輝く太陽が恵山方面の雲間からぽっかりと顔を出し、空と海を赤く染めていった。
 この幻想的な情景を見詰めていた熊切監督は原作のシーンを思い出し、『朝日を見ると本当に皆黙り込むんですね』と話していた」

(「海炭市通信」第1号)






(続く)




そして。
前回のクイズの答えです。

「金曜と土曜」でした。
土禁(土金)ですものね。

・・・ん、土禁(土足禁止)って、全国どこでも通じる言葉じゃないかも?
だとしたら失礼しました。



さあ、次っ!

「少ししかない3時のおやつってなーんだ?」

答えは次回のブログにてっ。

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最初のロケハン(2009,4,5)で見た日の出です。




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2011年08月04日

足跡その32~撮影の合間にロケハン


2009年5月の、4日間の撮影。
その合間に、あちこちをロケハンで動き回りました。

たとえば函館ドックのあちこち。
歴史ある建物のため、玄関も廊下も食堂もすべてが創作意欲をかきたてる味わいだったのです。

トイレをお借りしたときも。
「このトイレだけで、映画が1本作れるな」なんて状況でした。


このほか、様々な場所に移動して函館山を探します。
小説「海炭市叙景」では、冒頭の物語「まだ若い廃墟」で山が出てきて、そのあとの様々なストーリーの舞台となる場所でもその山が見えています。

異なる登場人物のストーリーの中で、見え方を変えながらも存在感を示す山。

映画でも、最初のチラシのメインビジュアルに選ばれるなど、海炭市民を見つめる山が重要なモチーフとなっています。
そのイメージをロケハンで探りました。



ここからほぼ2ヶ月。
このロケハンもふまえての脚本第1稿が送られてくることになります。





「ひっきりなしに揺れる電車の中でもずっと何かがひっかかっていたのだけれど、どうして僕はあの山に魅きつけられているのだろう。
 冬の陽は真上に来ている。」

( 一滴のあこがれ from 「海炭市叙景」 / 佐藤泰志)





(続く)




そしてっ!
前回のクイズの答えです。

「化粧室(毛・消失)」でした。


ほぉ。


さて、次っ!

「犬はドッグ、鳥はバード、ならばカッパは?」


答えは次回のブログにて!

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