2010年05月22日
クランクインから1年たちました
本日のブログは長文になります。
2008年に構想をはじめ。
2009年1月に最初の集まりを持ち。
2月に本格的な打ち合わせをはじめ。
3月に印刷物などの準備を行い。
4月に監督とプロデューサーを迎え入れ。
そして5月23日に8mmでの撮影を行いました。
函館ドックのゴライアスクレーンがなくなってしまうという状況の中、大急ぎで準備しての撮影。
あれが実質的なクランク・インでした。
あれから1年です。
我々は実行委メンバーの中でメーリングリストを作り、参加できないメンバーとも現況を伝え合ってきました。
それは今も続いています。
あの日、クランク・インとなった撮影初日に帯同したスタッフからのメールを紹介させてくださいませ。
我々は、こうした積み重ねで絆を深めております。
今、この瞬間も。
実行委・加藤さんからのメール
「先週は実にめまぐるしい一週間でした。
23日は土曜日にもかかわらず6時起床。
7時50分に七飯を出て、途中西堀さんを拾って空港着8時半。
9時05分到着の熊切監督とカメラマンを出迎えました。
到着ロビーでそれらしい背格好の男性が見えたものの、半ズボンにサンダル履きというスタイルでとてもその人とは思えず、二人で「まさかあの人じゃないよね」といっていたらやっぱり熊切監督でした。
一番最後にゲートを出てこられようやく挨拶。カメラマンは高橋さんといい四国は愛媛県出身の方。
走行34万キロの加藤車(すでに筏の材料が積まれていて狭い。そこにカメラや機材を積んでさらに窮屈)に乗り込み産業道路などを走りながら途中、猫を抱いたばあさん?の家はこの辺だったのですが等と話している間に菅原さんの水花月茶寮へ着きました。
打ち合わせ開始、そして早めの昼食。
すぐに函館ドックへ行く予定が、ちょっと回り道をすれば函館山やクレーンを対岸の上磯方面から眺められるとなって、雲に頭上を覆われた函館山を撮影しました。
映画人は決断が早くフットワークも軽い。
映写機が回り始めた瞬間(12時頃)です。
クランクインは静かに始まりました。
その後ともえ大橋を通ってドックへ~橋からの眺めは想像通りだったようです~急ぎました。
ドック内の○○号館で子役の中野兄弟、ご両親と会いました。
利発そうな印象で実際もその通り。
打ち合わせの後、撮影に入ったと思います。
思いますというのはこの後廃材探しに海岸へ出かけたため、実はよくわからないのです。
当初加藤の計画ではのんびり撮影見物の予定でしたが、急遽いかだ作りの話が舞い込みこの後すぐに西堀さんと実行委員の中野さんと3人で啄木公園裏へ出かけました。
しかし最近は海浜清掃が行き届いているのか単に運が悪いのか、流木や廃材は簡単には見つかりません。
場所を移動しながらようやく、それらしく見える素材や浮き球を車に積み込み急いでドックへ戻りました。
廃材を今日の撮影に使うとのことだったからです。
幸い監督がすぐにそれらを小道具として使ってくれて3人はひと安心。
小雨の中を中野兄弟(けいすけ君と桃ちゃん)は頑張りました。
いかだを造るシーンもかなり時間をかけて準備していました。
二人は寒さもこらえ文句も言わず、いやがるそぶりも見せず見事に一日目をやりきりました。」
文字通り、昨日の事のように思い浮かびます。
あの撮影が、間もなく完成した作品として産声をあげるのです。
とても特別な気持ちになっています。
長い文章を読んでいただき、誠にありがとうございました。